ソーシャルメディアがもたらす世界

いまさらかもしれないけど、書いてみます。特に最近は自分のFacebookのコミュニティでも普通のオヤジたちが普通に感じ始めていることですので。


FacebookやTwitterを見て暮らしてると、リアルで繋がりある人の公私に渡る情報を得たり、共通点を見出したりするのって、1-2回の飲み会位では、ままならなかったなーって、つくづく感じます。
ーシャルメディアって、本当にいろんな人のいろんな面がたくさん分かり、たくさんの共通点も見出せ、その人への興味や、会いに行きたくなる気持ちや、行動してみよう等の気持ちも自然に湧いて来たりします。それだけでも「幸せ感」が得られます。
「*君はこんなにイカした(イカれた?w)ギタリストだったのかー」とか
「*君も外資入ってTOEICがんがってるなー。自分もがんがるぞー」とか、いくらでもゴロゴロネタが転がってると感じます。いろいろ自分に行動を促すパワーに利用できるところ大切だなーっとも感じます。一方で「真に重要な情報(ウェット情報?)はソーシャルメディアでは得られない」ってことも忘れちゃいけませんね。


佐々木俊尚さんの本で「ソーシャルメディアによって、誰もがキュレータになれる時代」って書いておられました。私だってこんなしょぼいブログ書いてて、時々見知らぬ人からコメントもらえたり、Twitterのつぶやきで100名位にRTされたりする時代ですもんね。汗)
無限の細かい専門領域(確かビオトープと呼んでた)に、無限のキュレータが存在して、ネットを通じてどんどんそれらが加速してゆく時代。音楽とか、サブカルチャー系は、もうどんどんこっちへ行ってますね。教育とか、知識産業とかも、どんどんこっちへ進化しちゃうのは止められないみたいですね。ほんで基本的に無料化へ向かってるらしいです。
「作家が本の販売だけでは喰えない」
「大学教授が学校で授業するだけでは喰えない」とか、そんな感じの社会。


自分が今、この変化の時代に生きていること、そして、そのメディアとそれがもたらす社会への影響等をリアルタイムで感じながら生きてゆくこと。ワクワクするけど、油断してると生き残って行けない社会。グローバル化により「専門性や難易度が中程度で、中程度のスキルをもつ多くの人にできること」は単価の安い外人に喰われます。
自分もまだ20年は働かないといけないしw なんとか生き残るための力をつけようとしてます。いい歳のおっさんが「自分を諦めない」をスローガンに生きてゆくぞ!

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